音脈 Vol.65|東京文化会館公演情報 2017年1月~3月
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13音脈2017 WINTER主催公演情報 プロセニアムのスター達文/友部 衆樹(音楽ライター)COLUMNvol.06東京都交響楽団 第450回定期演奏会 1997年5月7日 東京文化会館 写真/木之下 晃 エリアフ・インバルは、言うまでもなくマーラーのスペシャリストである。東京都交響楽団との2度にわたるマーラー・ツィクルス(1994~96年/2012~14年)が日本のオーケストラ史に与えた鮮烈なインパクトは記憶に新しい。またブルックナーやショスタコーヴィチなどにおける豪壮な響きと堅固な造形も評価が高い。 だが、本稿ではインバルのベートーヴェンについて考えてみたい。古典派のエッセンスであるベートーヴェンの交響曲にこそ、彼の芸術が端的に現れているからだ。 マーラー・ツィクルスの陰であまり注目されなかったが、インバルは東京都交響楽団プリンシパル・コンダクター在任(2008~14年)中にベートーヴェンの交響曲を集中的に採り上げている。2009年4月の第3番《英雄》に始まり、同年11月の第7番、2010年3月の第5番《運命》、同年11月の第1番と第8番、2013年1月の第4番、同年12月の第9番《合唱付》(第9は2007年と2015年にも指揮)。第2番と第6番《田園》が抜けているが、事実上の「ベートーヴェン・ツィクルス」であったと思う。 ここで、現時点におけるインバルのベートーヴェンの集大成である2015年の「第9」を振り返ってみよう。私が聴いたのは12月25日、会場は東京文化会館。 弦は16型のフル編成、木管は人数を2倍にした倍管。低弦を強調して往年の巨匠のような重厚な響きを作る。「鳴らす」のが難しい東京文化会館が文字通り鳴動したのには驚いた。 一方でピリオド後の時代にふさわしく、短めのアーティキュレーションによる切れ味の良さ、見通しの良いテクスチュア、俊敏な運動性をあわせ持つ。結果として、巨大なトレーラーが急カーブを縦横に駆け巡るような、重さと機動性を兼ね備えた疾走感が生まれる。 演奏の第1の特徴は、楽譜へのスタンス。基本はブライトコップフ版だが、第2楽章(スケルツォ)の第2主題ではホルンを加える。楽譜通り旋律を木管だけが担当していては聴こえない、として、往年の大指揮者ワインガルトナーが推奨したやり方だ。それでいて、第4楽章(フィナーレ)のトルコ行進曲直前のフェルマータでは、ティンパニを最後までフォルテシモで叩かせる。これはベーレンライター新版の解釈である。 つまり、ある一つの楽譜を順守するのではなく、「作曲家がやりたかったこと」を洞察し、その実現のため様々な版を参照する。ほとんどの指揮者が多少なりともやっていることだが、インバルは徹底している。彼は若き日にオーケストラのコンサートマスターを経験しており、現場叩き上げタイプの指揮者にも見えるが、曲によっては何種類ものスコアや校訂報告を比較検討する学究肌の一面も持つ。上述の通り、巨匠時代の措置から最新の校訂楽譜までを総合し、音楽的な必然性をもつ「インバル版」とも言える解釈を提示する。オーケストラを前にした時、強烈な説得力が生まれるだろうことは想像に難くない。 第2の特徴は、倍管へのこだわり。演奏には本来、テンポやバランスやフレージングなど様々な要素があるけれど、ここではオーケストラの編成、中でも倍管に光を当ててみたい。近年のインバルが都響と演奏したベートーヴェンの交響曲は7曲。そのうち第1、4番はオリジナル編成だったが、第3、5、7、8、9番は倍管だった。 目的は、もちろん音量の増大。現代の2000席のホールに対応するには、作曲当時の編成では音量が足りない。インバル自身、「指揮者は楽器やホールの特性を見極めながら現場で対応していくもの。演奏を決めるのは指揮者であって、学説ではない」と折に触れて語っている。 2016年9月、都響と演奏したシューベルトの交響曲第8番《ザ・グレート》まで倍管だったのには驚いた。歌に満ちた純朴な曲が、輝かしく壮麗な大曲に変貌。《ザ・グレート》の世界はブルックナーに直結していることを実感させてくれた。「正統的」な解釈とは言えないかもしれないが、決してルーティンに陥らず、80歳を迎えた今なお、曲のもつ新しい可能性を示してやまないインバル。この覇気こそが、マエストロの魅力なのだと思う。

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