音脈 Vol.63|東京文化会館公演情報 2016年7月~9月
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13音脈2016 SUMMER主催公演情報 プロセニアムのスター達文/山野博大(バレエ評論家)COLUMNvol.04ニーナ・アナニアシヴィリ、アンドリス・リエバ「海賊」 1991年7月27日第6回世界バレエフェスティバル 東京文化会館写真/木之下 晃 ニーナ・アナニアシヴィリは、1964年3月19日グルジアの首都トビリシで生まれた。10歳でグルジア国立バレエ学校に入るまでは、アイス・スケートの選手として将来を期待されていたらしい。モスクワに出てバレエを学び1981年、17歳でボリショイ・バレエ団にソリストとして入団する。古典バレエのレパートリーをはじめ、創作バレエなども幅広く踊り、若くして注目を集める存在となる。 1987年、ソ連ではペレストロイカが始まり、他国との文化交流がしだいに盛んになる。1988年、彼女は24歳でアンドリス・リエパと共にソ連のダンサーとしては初めてニューヨーク・シティ・バレエのゲストとして、バランシン作品などを踊り、ソ連の新世代を代表するダンサーとして世界に知られる。以後、ボストン・バレエ、デンマーク・ロイヤル・バレエ、ロイヤル・バレエ、バーミンガム・ロイヤル・バレエ等でも踊り、彼女の名声はしだいに世界へと広がった。1993年、彼女はボリショイ・バレエに籍を置きながら、アメリカン・バレエ・シアターのプリンシパルの指名も受ける。そのために日本では、ボリショイ、ABT両バレエ団のプリマとして、ニーナの名前が知られることになった。 彼女は1996年、アメリカン・バレエ・シアターの一員として来日し、フリオ・ボッカと『白鳥の湖』を、チャールズ・アスケガードと『マノン』を、ジェレミー・コリンズと『ジゼル』を、アレクセイ・ファジェーチェフと『ドン・キホーテ』を踊り、正統的な古典の主役から、人間的な陰影のある役までをみごとに踊りこなせるバレエリーナであることを、日本の観客に強く印象づけた。アメリカン・バレエ・シアターとは1999年にも来日し、この時はフリオ・ボッカと『ラ・バヤデール』を踊った。 1999年のボリショイ・バレエの来日公演では、アンドレイ・ウヴァーロフと『ドン・キホーテ』を、セルゲイ・フィーリンと『ジゼル』を踊る。その後も毎年のように日本のバレエ・ファンの前に彼女は姿を見せ、2002年のアメリカン・バレエ・シアター来日公演では、ゴメス・レイエスと『海賊』を、ホセ・カレーニョとハインド振付の『メリー・ウィドウ』を、2002年のボリショイ・バレエ来日の時は、ウヴァーロフと『眠れる森の美女』を踊る。また「ニーナ・アナニアシヴィリと世界のスターたち」という独自のアンサンブルを結成し世界各地を巡演する。このアンサンブルは1990年代から何度となく、日本でも各地で公演を行ってきた。 2007年、43歳の彼女は芸術監督としてグルジア国立バレエを率いて来日し、ウヴァーロフと『白鳥の湖』『ドン・キホーテ』を踊った。2010年には『ロミオとジュリエット』『ジゼル』をふたたびウヴァーロフと踊る。この舞台には岩田守弘の姿もあった。グルジア国立バレエは2012年にも来日し、彼女はデニス・マトヴィエンコとファジェーチェフ版の『白鳥の湖』を踊っている。2013年には、熊川哲也のKバレエ・カンパニー公演に中村祥子と共にゲストとして登場した。そして宮尾俊太郎と『白鳥の湖』『海賊』を踊り、異なるふたつのバレエをはっきりと特徴づけるというはなれ技を見せてくれた。 彼女の生れたグルジアは100近くの民族が共存する地域だ。他民族と理解し合うための努力が日常的に求められる土地柄は、ニーナの踊りにも影響を与えたようだ。異なる性格を持つ主人公が活躍するバレエをかるがると踊りをわけられるダンサーはあまり例がない。しかし彼女が生まれながらに身につけた個性はそれを可能とした。世界を股にかけたバレエ生活で身につけたさまざまな舞台経験がそれに加味されている。すでに何度となく踊り、すみずみまでを知りつくしている東京文化会館の舞台で、ニーナがこんどはどんな踊りを、永年拍手を送り続けてきた日本のファンに見せてくれるのだろう。

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