音脈 Vol.62|東京文化会館公演情報 2016年4月~6月
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11音脈2016 SPRING2016年度主催公演ラインアップ プロセニアムのスター達クールで優勝してからムーティの目ざましい活躍が始まった。彼はイタリアオペラの全曲演奏を主張し続け、イタリアオペラにはカットという『悪習』が『伝統』として根付いていることに異議を唱え続けている。また、作曲家が書いていない超高音を出して歌手が観客を喜ばせることにも批判的だ。この断固とした姿勢が、超高音を楽しんで何が悪いとばかりイタリアの観客から不評を得たこともあるが、マエストロは信念を貫き通している。また、作曲者の意図を充分に理解して表現することが演奏者としての義務であるという謙虚な姿勢を保ち、すべての作品にはその背景にある歴史や作曲家の思いがあることを演奏者も観客も知ることが大切であるという理由から、レクチャーコンサートを盛んに行い、イタリアにおける音楽文化の普及にも貢献している。 近年は後進の指導にも熱心で、2004年に30歳までの若者で編成されるルイージ・ケルビーニ・ジョヴァニーレ・オーケストラを創設した。このオーケストラは音楽院を卒業したばかりの音楽家がプロの団員になるまでの間の養成期間として3年間演奏経験を積む仕組みになっている。自身が偉大なオーケストラや演奏家と共演して学び、身に付けてきたことを若い音楽家たちに伝えたいという強い願いが、このオーケストラを誕生させたのである。 2016年が日本とイタリアの国交樹立150年という記念の年であることに因み、3月16日、東京文化会館においてムーティ指揮のもと日本の若手奏者とケルビーニ管との合同オーケストラによる演奏会が東京・春・音楽祭のオープニングを飾る。1月の来日時のインタヴューでも、この合同オーケストラと合唱の大規模なコンサートが待ち遠しくてたまらないと顔を輝かせて語っていた。 音楽に、そして自分自身にも厳しいムーティは普段あまり笑い顔を見せない。確かにリハーサル中のマエストロは怖いし、オーケストラには常に緊張感が漂っているのだが、素顔のムーティはユーモアに富んでいて、周囲の人々をよく笑わせる。コンサートが始まる前の楽屋で、楽しそうに笑い話をしているマエストロの姿は、いかにもイタリア人そのものである。文/田口道子(オペラ演出家)COLUMNvol.03 1月18日と19日、東京文化会館におけるリッカルド・ムーティ指揮シカゴ交響楽団の演奏会は満場の観客を興奮の渦に巻き込んだ。シカゴ響の音楽監督に就任して早くも5年。マエストロとシカゴ響は音楽ばかりでなく人間的にも素晴らしい関係を築いてきているそうだ。 南イタリア プーリア地方出身のムーティは音楽好きだった医者の父の勧めで5歳の時にヴァイオリンを習い始めた。その後ピアノを弾くようになったが、音楽家、ましてや指揮者になるとは夢にも思っていなかったという。 ところが、高校と並行して音楽院のピアノ科を受験した時に、当時学長をしていた作曲家のニーノ・ロータと出会う。ロータは、いち早くムーティの才能を見出し、ナポリの音楽院への転校を勧め、本格的に音楽の勉強をさせるようにと両親を説得したのだった。 ナポリの音楽院ではヴィンチェンツォ・ヴィターレに師事し徹底的にピアノのテクニックを教えられ、優秀な成績で卒業したムーティは、ナポリ音楽院の学長からミラノの音楽院で作曲と指揮を学ぶようにと勧められる。そしてミラノでトスカニーニの薫陶を受けた指揮者アントニーノ・ヴォットと出会うのである。 次から次と素晴らしい師に巡り合ったムーティはあたかも偉大な指揮者になるべく敷かれたレールの上を歩んできたかのようだが、その努力も並大抵のものではなかった。「私には青春時代がなかった」と漏らされたことがあるが、ミラノの音楽院時代は勉強に明け暮れていた。対位法の勉強をしたノートは山のように残されているし、スコアリーディングでは図書館にあるスコアを片端からピアノで弾く練習を重ねたそうである。この基礎があってこそ、今日のマエストロが存在するのである。 1967年にイタリアにおける指揮者の登竜門といえるグイド・カンテッリ・コンリッカルド・ムーティ 1985年5月24日 東京文化会館 写真/木之下 晃

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