音脈 Vol.59|東京文化会館公演情報 2015年7月~9月
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13音脈2015 SUMMER主催公演情報追悼 木之下 晃氏写真家 木之下 晃氏が、2015年1月12日にご逝去されました。本誌「音脈」にて、長きに渡り「レンズは語る」の連載を頂き、東京文化会館にて多くの音楽家の撮影をして頂きました。木之下 晃氏のご冥福を心よりお祈りいたします。追悼 木之下 晃氏東京文化会館©齋藤亮一 父の他界から数か月が過ぎ、多くの方がお悔やみと共に父が生前話していたことを伝えて下さいました。これが新たに父を知る機会となって、生前よりもむしろ父の存在を感じる日々となっています。そんな中頂いた「『音脈』へ追悼文の寄稿を」とのお話し…。貴重な機会なので、ここで改めて写真家木之下晃を娘の立場から見つめてみます。 夫婦の言い争いは往々にして同じ火種から発するものかと思いますが、我家では父の原稿を読んだ母が、「時代なんだからデジタルを批判しなさんな」とたしなめる場面がその一つでした。『音脈』読者の方々にはご存じ頂いているかもしれませんが、父は最後までフィルムでの撮影にこだわり、自らプリントすることにこだわっていました。デジタル全盛の時代にこれを貫くことは簡単なことではありません。それでも、なぜ、父はそれを貫き通したのでしょうか。 その答えは、デジタルでは自分が撮りたい像を写し出すことができなかったからです。 父は、デジタルを頭から排除していた訳ではなく、実はデジタルカメラも持っており、晩年はカラーフィルムの入手がかなり困難だったことから、カラーはデジタル、モノクロはアナログで撮影していたこともありました。撮影後、カラーのデータをPCに取り込み、モノクロについては暗室で現像・紙焼きしたものをスキャンしてPCに取り込んでいくのが、私の役割の一つで、その両者を共にディスプレイに表示してみると、あきらかに違いがあるのです。父がデジタルカメラを使いこなせていなかったから? それもあるかもしれません。が、処理能力が頂点に達したともいわれる昨今のデジタルカメラですから、物理的には、同じようにシャッターを押せば同じような写真が撮れるはずです。でも、何かが違う。この言葉で説明するのは困難な「何か」こそが、木之下晃の写真だったのではないかと、私は思っています。 「彼の写真からは、音楽が聴こえるだけではない。そこには音楽家たちの夢や希望までもが刻印されている。」いつしか音楽写真家と呼ばれるようになり、記録としての舞台写真を、作品として通用するものに高めるために全精力を注いできた父にとって、デジタルの技術はカメラマンの間口を広げ、舞台写真を単なる記録写真に戻してしまう…そんな危惧に繋がっていたのではないでしょうか。デジタル信号で写真を残していくことは、自分が半世紀に渡り必死で築いてきた音楽写真を次へ繋いでいくものとして、あまりに心許なく映ったに違いありません。「shootは獲物を射る意味でも、写真を撮る意味でも使うけれど、シャッターを押すのはまさに獲物を狙うのと同じ」と父は言っていました。一発で獲物を捕らえるか、高機能機関銃で確実に獲物を捕らえるか。どちらも結果は得られるけれど、その獲物の姿は違うはず。魂が籠った一枚を生み出すのにアナログカメラが最適であるなら、最後までアナログで写真を撮ることができた父は、本当に幸せです。 これだけではありません。東京文化会館には撮影用の小窓を作って頂きました。この小窓があることで、海外の劇場では決して写ることのない角度からの自身の指揮姿を見て、驚き喜ぶマエストロたちが父を認めてくれました。時代が成熟していく中で、名門オーケストラやオペラが続々と来日し、居ながらにして世界の巨匠を捉えることができました。音楽写真という分野を切り拓くには多くの困難があったかとは思いますが、時代に恵まれ、よき理解者に恵まれた父は、それはそれは幸せな写真家人生を送ったといえるでしょう。 冒頭の夫婦の言い争いに戻ります。母にたしなめられた父は原稿を書き直すのですが、時間が経つと、また、同じことを書いてしまうのです。父の偽らざる本心ですから、仕方がありません。ただ、この言い争いをもう傍観することがないと思うと淋しさが募ります。文/木之下 貴子木之下 貴子 Takako KINOSHITA1936年長野県生まれ。諏訪清陵高校、日本福祉大学で学ぶ。中日新聞社、博報堂を経てフリーとなり、1960年代から一貫して『音楽を撮る』をテーマに撮影活動を続けた。フィルムでの撮影・現像に最後までこだわり、生涯に撮影したフィルムは3万本に及ぶ。その写真については「音楽が聴こえる」と、ヘルベルト・フォン・カラヤン、レナード・バーンスタインなど音楽関係者から高い評価を得ていた。1971年日本写真協会賞新人賞、1985年第36回芸術選奨文部大臣賞、2005年日本写真協会賞作家賞を受賞。2006年紺綬褒章受章。2008年新日鉄音楽賞特別賞を受賞。写真集は『世界の音楽家・全3巻』(小学館)、『The MAESTROS』(小学館)、『石を聞く肖像』(飛鳥新社)など生涯約50冊を出版。約100回の写真展を開催。元日本福祉大学客員教授。2015年1月12日、虚血性心不全のため死去。享年78。木之下晃の次女。大学卒業後、ラジオアナウンサーとして活動を開始。現在もフリーで仕事を続けている。2010年株式会社木之下晃アーカイヴスの設立と同時にフィルムで撮影された写真のデータベース化などを手掛ける一方で、父とのフォトトークセッションなども展開。写真家木之下晃が残した作品を後世に伝えていくのを使命とする。http://www.kinoshita-akira.jp/PROFILE木之下 晃 Akira KINOSHITA

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