音脈 Vol.57|東京文化会館公演情報 2015年1月~3月
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音脈2015 WINTER6©Bernard Rosenberg/DG ミッシャ・マイスキーがJ.S.バッハの音楽に出合ったのは、6歳上の兄ヴァレリーが弾くオルガンの演奏を耳にしたことによる。ヴァレリーは、ラトヴィアの首都リガのシンボルといわれるドムスキー大聖堂にある世界最大級のパイプオルガンで、一日何時間もオルガンを弾いていた。「両親は音楽の素養があったにもかかわらず、時代や社会の状況が許さず音楽家にはなれませんでした。ふたりは子どもたちに音楽を習わせることで、自分たちの夢をかなえようとしたのです。10歳上の姉リーナはピアノを習い、兄は最初ヴァイオリンを習っていましたが、自分はこの楽器に向いていないと判断し、オルガンに転向しました。兄はJ.S.バッハに深く傾倒していましたね」 幼かったマイスキーはヴァレリーの隣にすわって譜めくりを担当した。すぐそばで兄のオルガンを聴き、バッハが教会に響き渡るのを聴き、バッハの偉大さに目覚めていく。 「兄は14歳、私は8歳でした。この譜めくりのおかげで、私はバッハの作品を暗譜するほど勉強できたのです。バッハの音楽はまさに“バイブル”のようでした」 マイスキーはこのころ初めてチェロに出合った。父親が貧しかったにもかかわらず、楽器を調達してきてプレゼントしてくれたのである。その4分の1サイズのチェロを見た途端、マイスキーは一目ぼれした。 「私の子ども時代は物資が必ずしも豊かではなかった。でも、音楽面ではとても豊かなものを得たと思います。バッハのあらゆる作品に触れることができ、その音楽にどっぷりと浸かることができたのですから。そして8歳からチェロを習うことができました。初めてチェロを見たときは、なんて美しい形をしているのだろうと。これを私がひとり占めできるなんて最高だと思いました(笑)」 やがてチェリストとなったマイスキーは、バッハの「無伴奏チェロ組曲」を演奏するようになり、この作品が自身の“バイブル”となっていく。彼が現在使用している「無伴奏チェロ組曲」の楽譜は、1957年のムスギーズ版で、兄ヴァレリーから贈られたもの。アレクサンドル・ストロゴルスキー校訂によるもので、これを1957年7月20日に兄からプレゼントされた。以後、この作品はマイスキーの愛奏曲となり、1999年7月から8月にかけてベルギーで録音した「無伴奏チェロ組曲」の再録音は、兄に捧げられている。 マイスキーがこの作品を初めて録音したのは1984年から翌年にかけてのことであり、この録音は世界的な注目を浴びた。「1986年に初めて日本を訪れたとき、私は多くの方に受け入れられていると感じました。恩師のロストロポーヴィチからレコーディングは焦るなといわれていたため、ようやく実現した貴重な録音です。これは私にとっても多くのチェリストにとっても、生涯をかけて取り組む大切な作品。日々自分とともにあり、1日たりとも離れられない存在です。私は、毎朝起きると一番にいずれかの作品を弾くようにしています。そうすると、その日の体調や精神的な面などがすぐに理解できるからです。そういう作品はほかにはありません」 マイスキーの演奏するバッハの「無伴奏チェロ組曲」は、年々テンポが自由になり、表現が解放的になり、みずみずしさがみなぎるようになった。それは本人いわく「私は最近、年々演奏が若くなっていると感じています。長年、楽譜を読み込んで解釈は深くなっているはずなのに、音楽は自由で若い」。 マイスキーの心の糧であるこのバッハ。渾身の演奏からバッハの魂を受け取りたい。interview 02マイスキーにとって、J.S.バッハの「無伴奏チェロ組曲」はバイブル的な存在。作曲家の魂に近づき、渾身のバッハを生み出す。プラチナ・シリーズ 第3回 ミッシャ・マイスキー(チェロ)取材・文/伊熊よし子(音楽評論家)

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