音脈 Vol.57|東京文化会館公演情報 2015年1月~3月
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13音脈2015 WINTER主催公演情報木之下晃のレンズは語る©Akira KINOSHITAラファエル・フリューベック・デ・ブルゴス(読売日本交響楽団) 1983年10月13日 東京文化会館歴史を刻んだ巨匠たちの訃報が続く。今年6月11日に読売日響名誉指揮者であるラファエル・フリューベック・デ・ブルゴスがスペインのパンプローナ市の病院で逝去。 巨匠はその1週間前の6月4日に「癌のために、プロフェッショナルな仕事が出来ない」からと引退表明をしたばかりだった。享年80であった。 巨匠の本名はラファエル・フリューベックだったが、指揮活動をはじめるに当って、スペインのブルゴス生まれであることを強調するために、デ・ブルゴスを名前に冠した。それは彼の父親がドイツ人、母親がスペイン人であったことから、本人はスペイン人であることを誇りにしていたのである。生前、私にメッセージを下さった折、大切な事はスペイン語で書くと云っていた。 音楽はスペインのビルバオとマドリッドの音楽院で学んだ後、ミュンヘン高等音楽院に留学。卒業後の58年に地元のビルバオ市立管の首席指揮者としてキャリアをスタート。スペインとドイツを中心に世界各地の名門オーケストラのシェフとして活躍した。 日本とも縁が深く、1974年6月に読売日響に初客演して、東京文化会館の指揮台に立った。その時の触れ込みは「スペインの鬼戈」で、70年代のはじめに台頭してきた。40歳台の新鋭として、時代の新しい風を感じさせていた。私はその初来日から巨匠にカメラを向けてきた。 巨匠は、この読売日響との出会いが成功して、1980年に第4代常任指揮者となり、83年から首席客演指揮者、そして90年からは名誉指揮者に就任し、2010年に最後となった来日までの36年間に同オーケストラの指揮台に、なんと169回も立った。その中で、私にとって、最も印象深く思い出に残っているのは、83年10月13日に東京文化会館で読売日響第200回定期演奏会に客演してマーラーの交響曲第2番『復活』を指揮した時である。その時に写した一枚を巨匠が特に気に入ってくれて、知己を得た。海外の巨匠たちに顔を覚えてもらうのは、かなり大変なこと。数回会っただけだと、殆どが知ったかぶりに対応される。ところが気に入った写真があると、その写真と共に顔を覚えてくれる。写真家として巨匠たちと知り合う必須条件は、彼らの記憶に焼きつける一枚を撮ることだと思っている。 私は巨匠を読売日響以外にも、海外のオーケストラを率いての来日公演で、スペイン国立管(89年)、ベルリン放送響(94、97、2000年)、ウィーン響(95、96年)、イタリア・トリノRAI放送響(03年)などを撮影してきた。 巨匠の指揮は、大柄な体躯でふくよかな音作り。スペイン風の熱い情熱とドイツ風の緻密な重厚さを合わせ持ち、レパートリィの幅は広く、ワーグナーやマーラーなどのスケールの大きな棒さばきに、多くのファンが魅了されていた。スペインの名匠de Burgosラファエル・フリューベック・デ・ブルゴス写真・文/木之下 晃FrühbeckRafael

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