音脈 Vol.56|東京文化会館公演情報 2014年10月~12月
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17音脈2014 AUTUMN木之下晃のレンズは語る主催公演情報©Akira KINOSHITA栗山昌良 2014年4月22日 東京二期会オペラ劇場「蝶々夫人」(ゲネ・プロ) 東京文化会館20世紀後半、オペラは劇場機構の進歩と共に、映画やテレビなどの影響を受け、それ迄の音楽中心の舞台に、演劇的な視覚要素を必要とするようになり、演出家の存在が重要になってきた。今回は、ステージ上では直接観客と接点を持たない、演出家について話したい。 日本のオペラ草創期の1930年代に演出家として活躍したのが堀内敬三と青山杉作だった。会場は日比谷公会堂や歌舞伎座などが使われていた。 戦後の1950年代に、演出家青山圭男(1903年生)が登場。藤原義江率いる藤原歌劇団を中心に活躍した。青山は後にメトロポリタン歌劇場で『蝶々夫人』を演出。これが名作と評判を呼び長年上演が続き、その他、数々のオペラを演出。日本で最初の本格的な演出家となった。その青山に継いで登場したのが、今回紹介する栗山昌良である。 栗山は1926年東京生まれ。今年米寿を迎えたが矍かくしゃく鑠たる現役で、この4月には東京文化会館で二期会の『蝶々夫人』を演出し、栗山調といわれる日本人の和服姿を木目細かく描いて、美しい舞台作りを見せていた。 栗山は戦争中に、独逸学協会中学で学び、その中学時代から築地小劇場(戦時中は国民新劇場と改名)に足を運ぶ、演劇青年だった。20歳で陸軍に徴兵され、山口県萩市の鉋兵連隊に配属。そこで終戦を迎えた。 46年に千田是也が主宰する舞台芸術アカデミーで、近代リアリズム演劇を学び、49年に俳優座に入団。50年から俳優座養成所の講師に、開設から閉所まで20年間、俳優教育に携わった。(この養成所は66年に桐朋学園の演劇科に移行)64年から国立音大の講師となり、後に教授としてオペラの後進の指導にもあたってきた。 67年に青年座文芸演出部に移って、劇作家矢代靜一らと組んで、数々の作品を上演した。 栗山のオペラ初演出は、メノッティの『アマールと夜の訪問者』を54年に二期会が俳優座劇場で上演した時である。その後、二期会と密接な関係が続き、東京文化会館では開館した61年12月に『セビリアの理髪師』を演出。指揮は大町陽一郎で、東京フィルがピットに入り、畑中良輔や立川澄人らがステージに立った。 63~66年には藤原歌劇団で岩城宏之などと東京文化会館を主体に積極的に展開。67年からは日本オペラ協会での日本人作品にも意欲を見せ、69年は畑中良輔と若杉弘らと東京室内歌劇場を創設。98年からは新国立劇場と関係を持つなど、この60年間一貫して日本のオペラ界の中枢を担ってきた。 栗山演出の特徴は、演劇畑で築き上げてきた演技指導にある。なかでも現在の歌手の殆どが着物を着る生活習慣がないため、和服での立ち居振る舞いなど、日本人の美しい姿を後世に伝える貴重な存在である。日本人の姿を伝える名演出家Masayoshi Kuriyama栗山 昌良写真・文/木之下 晃

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