音脈 Vol.56|東京文化会館公演情報 2014年10月~12月
10/24

音脈2014 AUTUMN10©青柳 聡 かれこれ半世紀近く山下洋輔の音楽に親しんできた私には、彼が4、50年前と変わらぬ若々しさを保ったまま東奔西走している姿を見るにつけ、彼のどこにあの爆発的エネルギーが潜んでいるのか不思議に思えてならない。音響の良さで定評のある東京文化会館小ホールでの初のソロ・コンサートに臨むことになった氏の話がきける機会を得て、私が開口一番訊ねたのもこのことだった。だが、彼の答えはこともなげだった。「いやこの30年ほど鍼(はり)治療を受けている以外には、特に何もしていませんよ」。 とはいっても、フリー・ジャズ・スタイルの演奏で日本のジャズ界を席巻していた当時(60年代末~70年代)と違って、今日の山下洋輔はソロ・ピアノ、スペシャル・ビッグバンド、さまざまな共演者とのセッション(タモリ、林英哲、茂木大輔らを含む)、もう25年以上も活動し続けるニューヨーク・トリオ、クラシックのオーケストラとの共演、さらには作曲家、プロデューサー、音楽大学プロフェッサーとして、体が幾つあっても足りないほどの忙しさ。その中でよくこんなに日本各地や世界中を飛び回れるものだと感心するのは当然だろう。加えて、1942年生まれの彼は一昨年に古希を迎えた。70代と言えば、無理が許される年齢ではなくなる。その彼が挾間美帆、高橋信之介、スガダイロー、寺久保エレナ等の傑出した才能を発掘して世に送り出したり、近年は佐渡裕や広上淳一らの指揮するオーケストラと自作のピアノ協奏曲を演奏したり、一柳慧のピアノ協奏曲「JAZZ」を初演するなど、まさにジャンル横断の活躍を強く印象づける。そのむかし彼がニュー・ジャズの先頭を走っていたころ、音大出身でありながらクラシックとは無縁の、むしろ対極的な演奏を繰り広げていた彼を思うと隔世の観がする。 「ジャズのことを考えれば考えるほど」。一息入れて彼は話を継いだ。「ヨーロッパ音楽なしには成り立たなかったと分かる。小論文『ブルーノート研究』にも書いたけど、アフリカとヨーロッパが新大陸で出会ったという不幸な出来事のおかげでジャズが生まれた。比類のない人類史的な出来事というインパクトを内包しているんですね。だからこそジャズが世界中に広まった。その要素の一つであるヨーロッパ音楽も知りたくなる。そこで、音大に行こうと思ったけど、ピアノ科には入れっこない。作曲科ならと考えて国立音大を受けたわけです」。 面白い話はさらに続く。「のちにこの文化会館で追悼演奏をする当時の国立音大作曲家教授、溝上日出夫先生とピアノ教授の深海小夜子先生についてにわかレッスンを受けた。深海先生の前で「I’ll Remember April」を弾いて、少し感心された。でもそのあと、モーツァルトをやったら爆笑された。モーツァルトには聴こえない!って。それで、受験で何とかなるのはこれしかないって出されたのがベートーヴェンのソナタ第6番・ヘ長調。この曲なら、展開部の三連音符でスイングしちゃっても大丈夫。そこが終わったら試験終わりの合図が鳴るから、なんとか練習しなさいって。その通りにやったらパスした。素晴らしい先生だと感謝しています!」。 「ボレロ」や「ラプソディ・イン・ブルー」などの山下流クラシックが近年、「展覧会の絵」や「新世界」で他に類を見ないユニークな演奏へと発展し、ファンの注目の的となっている。私が秘かに注目しているのはヨーロッパ音楽へのこうしたアプローチと多彩な成果が、とりわけ彼のソロ・ピアノに反映されはじめていることだ。近年の彼がソロ・ピアノに新しい境地を見出したように見えるのも、これと無関係ではないと思う。以前よりいっそう喜々としてピアノに対峙しているように見える。その心境を彼はこう話してくれた。「例えばクラシックだと、ソナタ形式のようにinterview 04国内屈指の音響美の殿堂に弾ける山下洋輔の“新世界” 。聖なる夜に捧げる、ピアニストからのクリスマスの贈り物。プラチナ・シリーズ 第1回山下洋輔(ピアノ)取材・文/悠 雅彦(音楽評論家)

元のページ 

10秒後に元のページに移動します

※このページを正しく表示するにはFlashPlayer10.2以上が必要です