音脈 Vol.40|東京文化会館公演情報 2010年10月~12月
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72010. Autumn音脈木之下晃のレンズは語る東京文化会館最多出演記録~故・渡邉暁雄木之下 晃/写真・文指揮者渡邉暁雄が1990年に逝去して、今年で20年になる。渡邉の父親はフィンランドの神学校に学んだ牧師、母親はヘルシンキ音楽院(現シベリウス音楽院)で学んだ声楽家で、1919年(大正8年)に東京で生まれた。 渡邉家は嵯峨天皇の皇子を始祖とする源氏渡邉網の家系で、明治から大正にかけて一家から3人の大臣を輩出。その後、侍従長やノーベル賞受賞者など多才な人材を生んでいる。また信子夫人は元総理鳩山一郎の5女で、前総理鳩山由紀夫が甥という華麗な家系である。 渡邉は東京音楽学校(現東京芸大)を40年に卒業後、ヴァイオリン、ヴィオラ奏者として活躍。45年終戦直後に26歳で東フィルの専属指揮者に就任。在任中の50年に戦後初の留学生としてジュリアード音楽院へ留学し、そこで学んできたことを軸に戦後の日本のオーケストラ界を育て上げた。56年には日フィルの初代音楽監督に就任。プログラムに欧米の近代作品を取り入れる斬新なアイディアは“新しい風“として一世を風靡した。マーラーは彼の先駆けによってブームとなり、また日本人作曲家に委嘱するシリーズを展開したことで、三善晃、武満徹をはじめとした日本人によるオーケストラ作品を生み出した功績は絶大である。 渡邉は1961年、東京文化会館オープニング「東京世界音楽祭~東西音楽の出会い」で日フィルを指揮。プログラムはバロー『弦楽のためのシンフォニー』、ダラピッコラ『囚われの人』、三善晃『交響三章』、トムソン『レクイエム』、松平頼則『催馬楽によるメタモルフォーゼ』、小山清茂『木挽歌』などを並べ、ホールの門出を祝した。その後、彼は東京文化会館で、日フィルを194回指揮。特に66年には1年間で29回も同オーケストラの指揮台に上った。また72~78年には都響の音楽監督に就任して90回指揮を行っている。他のオーケストラも含め、亡くなる1年前までの28年間で実に310回という出演記録を樹立。この数字は今後破ることが出来ない金字塔だといえる。 私が東京文化会館で初めて渡邉にカメラを向けたのは73年に催された「近衛秀麿追悼演奏会」で、安川加寿子をソリストに迎えて日フィルを振った時だった。この日は斎藤秀雄、朝比奈隆、山田一雄、森正という日本を代表する顔が揃い、各々が日フィル、新日フィル、東響を指揮して壮観であった。以降、彼が都響の音楽監督時代には、私は都響の撮影を担当していたので、数多くの写真を残すことができた。 彼が東京文化会館で指揮した演奏会で、最も印象に残っているのは、81年に日フィルでマーラーの『交響曲第8番・千人の交響曲』を指揮した時である。この時オーケストラが108人、ソリスト8人、合唱530人余という大編成で、これは東京文化会館の舞台上に最も多くの人が登壇した記録ではないかと思う。名ⒸAkira KINOSHITA渡邉暁雄(マーラー千人合唱)日フィル特別演奏会 1981.9.23 東京文化会館

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