音脈 Vol.40|東京文化会館公演情報 2010年10月~12月
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音脈2010. Autumn11寺西基之 Motoyuki Teranishi音楽評論家1956年東京生まれ。上智大学文学部卒、成城大学大学院文学研究科修士課程(西洋音楽史専攻)修了。1980年代半ばに評論活動を始め、雑誌、演奏会プログラム、CDライナーなどに執筆。共訳書にグラウト/パリスカ「新西洋音楽史」(音楽之友社)、共著に「ショパン」(音楽之友社)、「ピアノの世界」(学習研究社)ほか。現在、(財)東京交響楽団監事、(財)東京二期会評議員、(財)アフィニス文化財団オーケストラ助成専門委員などを務める。ある。鉄壁のアンサンブルによる恐ろしいまでの緊迫感と集中性を持ったその演奏は峻厳極まるもので、ショスタコーヴィチの交響曲第5番の張りつめた壮烈さには完全に打ちのめされ、終演後しばらく席から立つことができなかったほどだ。会場全体を凍てつかせるような凄みがこのコンビの演奏にはあり、音楽の持つ力の偉大さというものを思い知らされたものである。 そしてこのムラヴィンスキーの演奏の凄さを余すところなく具現化したのが東京文化会館であった。のちにNHKホールでもこのコンビを聴き、たしかに同様の感銘を受けたのだが、東京文化会館でのほうがその感銘がはるかに強烈だったのは、この会場独特の明晰な音響ゆえだろう。直截で張りつめたムラヴィンスキーの音楽にこのホールはぴったりだった。今ではこの時の演奏はCD化されている。たしかに当時の感動は蘇ってはくるが、会場の空気を震わせるようなあの独特の雰囲気はとても録音に収まりきれるものではなく、そこに居合わせた人にしかわからないだろう。あの時東京文化会館はまさしく特別の空間と化していた。 1977年3月のベーム指揮ウィーン・フィルも忘れられない。大学受験に失敗して浪人がほぼ決まった頃だったが、当初からベームとウィーン・フィルが東京文化会館で聴けるのに受験どころじゃないよという気持ちでいたし、実際その10日前、受験前日もNHKホールにこのコンビを聴きに出かけていたほどである。NHKホールではその時と前回の来日の際にもこのコンビを聴いていたが、いつも音が充分に来ないような舞台から遠くの安い席だったことでやや物足りなかった。東京文化会館はやはり違った。やはり安い席ではあったが、ウィーン・フィルの音がクリアに伝わってきて、ベームの芸術を存分に堪能できた。特にあの時のモーツァルトのK.201は一生の心の宝となっている。 その他バーンスタイン指揮ニューヨーク・フィル(1979年)、カラヤン指揮ベルリン・フィル(1981年)、ヨッフム指揮バンベルク交響楽団(1982年)、C.クライバー指揮バイエルン国立管弦楽団(1986年)はじめ、挙げたい来日オーケストラの演奏会は山ほどあるし、まして日本のオーケストラによる思い出の演奏は枚挙に暇がない。1978年にN響が久々に東京文化会館に登場してサヴァリッシュの指揮でベートーヴェンの「ミサ・ソレムニス」を取り上げた時は、普段聴くNHKホールでは伝わりにくいこの楽団の底力を見せつけられた思いがしたものだ。渡邉暁雄と日本フィル、小澤征爾と新日本フィル、チェリビダッケやザンデルリンクと読売日響、A.ヤンソンスと東京響、フルネやインバルと都響、朝比奈と大阪フィル等々、ここで聴いた名演奏は数知れない。 このように1960年代後期から80年代にかけて東京文化会館で聴いた多数のオーケストラ演奏会をとおして、私はオーケストラの魅力に開眼し、オーケストラ音楽にのめり込むようになった。もちろんいただけない演奏会や迷演ともいえるものにも多数出くわしたが、そのように演奏は生き物だということを教えてくれたのもこのホールである。東京文化会館が私を音楽への道に引きこみ、今の自分があるのは東京文化会館のおかげだといっても言い過ぎではないだろう。 前述のように、オーケストラのためのホールとしての東京文化会館の価値は、コンサート専用のホールが乱立している現在でもいささか減じるものではない。願わくは、かつてのようにとは言わないまでも、今後もこの会場でもっとオーケストラの演奏会を聴きたいものだ。2000年と01年の年始における小澤&サイトウキネンオーケストラのマーラーや、2006年と10年の“東京のオペラの森(東京・春・音楽祭)”におけるムーティ指揮する音楽祭オーケストラなどを聴くと、完璧に練り上げられた演奏ほどこのホールの凄さ、美質がはっきり浮かび上がってくる。明晰な響きを伝えるこの“怖い”ホールを、日本のオーケストラ界のためにぜひ再び活用してもらいたいものである。

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