音脈 Vol.38|東京文化会館公園情報 2010年4月~6月
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音脈2010. Spring9 皮肉なことに、最初に見たバレエフェスは1988年の第5回で、このときは五反田の簡易保険ホールだった。東京文化会館が改修工事で使えなかったのである。したがって、東京文化会館でのバレエフェスは1991年の第6回からなのだが、この第6回の舞台は忘れようにも忘れられない。ハイデとクラガン、ドンと玉三郎、エフドキモワとイレール、ルディエールとルグリ、アナニアシヴィリとリエパ、ハイヤットとリスカそのほか、豪華絢爛というほかないスターが並んだが、観客を熱狂させたのは、Aプロの最後がクリークとルジマートフの、Bプロの最後がピエトラガラとデュポンの、ともに『ドン・キホーテ』だったことである。 まさにロシア対フランスの一騎打ち。ひょっとするとガラでは二つを同じ日に並べたのではなかったかという気さえしてしまうのは、ルジマートフにここまでやられたのではデュポンは太刀打ちできないのではないかと思ったにもかかわらず、デュポンがルジマートフ以上の冴えを見せたことで、会場はもう興奮の渦としか言いようがなかった。いまでも、これ以上の『ドン・キホーテ』は見たことがないと言いたい気がするほど凄かった。 バレエフェスは昨年が第12回。第6回以後は欠かさず見ているから、同じように感動を書き連ねることができるが、推して知るべし。バレエこそ最高の芸術だと思ってしまうのは、ダンサーとともにこの今を生きていると必ず思わせられるからである。だが、ここで強調したいのは、その感動がつねに東京文化会館とともにあったということだ。 ロビーの2階にある精養軒のことも触れなければならない。20世紀最大のコリオグラファー、モーリス・ベジャールの『ザ・カブキ』も『M』も世界初演は東京文化会館であり、東京という都市はそのことをもっと誇るべきだと思うけれど、1993年、東京バレエ団の『M』初演の打ち上げのときに、ベジャールが感動のあまり、以後『ボレロ』と『春の祭典』の上演権を東京バレエ団にのみ与えると宣言したことがあった。ベジャールは当時、世界中のどのバレエ団にも上演を許可していなかったから、これは画期的なことだった。たまたま居合わせたにすぎないが、そのときのベジャールの上気した顔が精養軒の雰囲気とともに忘れられない。もちろん傍には『M』の作曲家・黛敏郎さんもいた。 感謝も何も、東京文化会館はすでに歴史に属しているのである。三浦雅士 Masashi Miura評論家1946年生まれ。1970年代、『ユリイカ』『現代思想』の創刊、編集を手がけ、80年代、執筆に転じ、文学、芸術を中心に論じる。90年代、月刊『ダンスマガジン』の創刊、編集を手がけ、以後、舞踊をも広く論じ、現在に至る。主な著書に『私という現象』、『メランコリーの水脈』(サントリー学芸賞)、『身体の零度』(読売文学賞)、『青春の終焉』(伊藤整賞)など。『バレエ入門』『バレエ名作ガイド』(ともに新書館)など、舞踊関係の著書も多い。1993年 東京バレエ団「M」カーテンコール(ペジャール&黛) ⓒphoto_Kiyonori 1993年 東京バレエ団「M」 ⓒphoto_Kiyonori Hasegawa

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