音脈 Vol.38|東京文化会館公園情報 2010年4月~6月
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112010. Spring音脈栄光の東ドイツ音楽を担った巨匠~オトマール・スイットナー木之下 晃/写真・文49年ドイツが東西に分断され、東ベルリン、ドレスデン、ライプツィヒなどのドイツを代表する文化都市は東ドイツに組みこまれた。そのことによって、ベルリン国立歌劇場、ドレスデン国立歌劇場、ライプツィヒ・ケヴァントハウス管弦楽団など、ドイツの伝統を誇る名門オペラハウスやオーケストラは東ドイツ国家の威光を世界に示すための象徴として扱われていた。 そのオペラハウスを支えるために、西側から招聘された指揮者がオトマール・スイットナーであった。 彼は1922年にオーストリアのインスブルクに生まれ、生地とザルツブルクの音楽院で学び、42年に故郷のチロル歌劇場副指揮者としてキャリアをスタートさせた。第2次大戦後はオーストリアを占領した連合軍の慰問ピアニストとして青春時代の5年間を送った。その後、西ドイツのレムシャイト市立歌劇場やファルツ管弦楽団などの音楽監督を務め、若手指揮者の有望株としてベルリン・フィルなどに客演しているのを東ドイツ政府がその音楽性を買って、60年彼が38歳の時にドレスデン国立歌劇場音楽総監督とドレスデン・シュターツカペレ(国立歌劇場管弦楽団)常任指揮者に抜擢。その活躍が目覚ましく、64年には東ドイツの最高峰であるベルリン国立歌劇場音楽総監督という重責の座に就任。同時にベルリン・シュターツカペレ(国立歌劇場管弦楽団)を率いる栄光の存在として4半世紀にわたって東ドイツ音楽界に君臨した。 71年にNHK響に客演するために初来日。東京文化会館にその姿を見せた。NHK響は彼のドイツ音楽に敬意を抱き、73年名誉指揮者に推挙。以後しばしば来日を重ね、日本においてもその名はお馴染みになった。 私が巨匠にはじめてカメラを向けたのは78年のベルリン・シュターツカペレ初来日から。その時、指揮台上の長身で泰然とした押し出しのある風貌に魅了された。東京文化会館では81年と84年に同オーケストラと来日した折に撮影した。 81年のプログラムはモーツァルトで、『ハフナー』『フルートとハープのための協奏曲』そして『ジュピター』が演奏されたが、格調の高い、情熱がこもったしなやかな棒さばきに“本場”のモーツァルトを味わう思いがした。84年のベートーヴェンは歴史を担う貫禄が滲んでいた。 巨匠はバイロイト音楽祭の常連で、ワーグナーも得意としていたが、80年代に手兵のベルリン・シュターツカペレとベートーヴェン、ブラームス、シューベルト、シューマンの交響曲全集を次々とまとめ、ドイツ音楽の伝統を継ぐ黄金時代を築いた。しかし80年後半頃から体調をこわして現役から引退。ウィーン国立音楽院で後進の指導にあたっていた。 “ベルリンの壁”が崩れて20年。東ドイツの記憶が薄れかけてきた今年の1月8日に巨匠は静かに息を引きとった。享年87であった。19○Akira KINOSHITAcオトマール・スイットナー(ベルリン・シュターツカペレ)1984.7.11 東京文化会館木之下晃のレンズは語る

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